デジタルとアナログの融合(3)

3.日本を生かすものづくり

 そもそもアナログ思考は日本人が古来得意とする考え方である。自然を人間との対立的存在として捉えず、直感的に物事の奥にあるつながりを認識し、その認識の表れが八百万の神々として先祖代々祭祀されてきた。“八百万”とは“数多くの”という意味であるが、それをそのまま“たくさんの神が存在する”と解釈するのはデジタル思考である。しかし、それを一即多・多即一という原理によって、それを同じ1つのまとまりとしてアナログ的に解釈したのが日本人であった。このアナログ的な考え方は、風呂敷や着物といった日本発のものづくりに反映されていると見ることができる。例えば、風呂敷はカバンと対比させてみるとその発想の違いがわかりやすい。カバンとは、物を入れて持ち運ぶための用具であり、空間容量が物理的に予め設定されている。したがって、使用目的に応じて大小様々なサイズのカバンが用いられる。それは、物をサイズというカテゴリーで分類して考案された代物であるからデジタル的である。一方で、風呂敷は予め設定された空間が存在せず、包み具合によって様々な大きさに調整することが可能である。もちろん、サイズの限界は風呂敷にもあるが、カバンに比べるとその空間的な束縛は小さい。この発想は物をサイズによって分類せず、大と小を連続的に解釈したアナログ思考によって初めて可能である。このような事例は風呂敷のみならず、着物や下駄といった物にも同じ議論をあてはめることができる。とりわけ、風呂敷は近年の地球温暖化問題の視点からその有用性と独特性が再評価されつつあり、また、「もったいない」の日本語が世界の注目を集めていることは、日本のもつアナログ思考が非常に先進的で次代を切り拓く可能性を有しているといえるのである。したがって、アナログ思考を生かしたものづくりは、日本に根付いた遺伝子をそのまま生かしながら次代を切り拓くことができる、日本企業にとって最適な戦略といえるのである。

                                                                                     

4.次代を切り拓くデジタルとアナログの融合

 1980年代、日本はDRAMが牽引役となって、半導体産業において一躍トップの座を奪った。1985年の世界の半導体売上高ランキングでは、ベスト10に日本企業6社がランクインするほどの競争力を誇った。ところが、DRAMの大量生産技術が確立・成熟した1990年代、DRAM産業は技術競争からコスト競争へと変貌し、コスト競争力の強い韓国企業の後塵を拝す形となった。一方で、近年、日本勢が世界をリードする次世代ディスプレイにおいては、その製造工程が極めてアナログ的であり、光学、電子工学、化学、物理学、材料学などの多岐にわたる知識を総動員した高度なすり合わせ技術によって成立している。これは、デジタルとアナログを見事に融合させ、次代を切り拓いた1つの事例である。ここで「新入社員に一番期待することランキング」を紹介する。ここには、「行動力・バイタリティ」(1)、「経験の蓄積・資格・スキル」(2)、「発想力・創造性」(3)、「専門スキル・技術」(4)、「協調性」(5)、とあり、アナログ的要素を期待するものが多く上位に見られる。企業に勤める人は、今、アナログの強化を求められていることがわかる。また、企業自身も発展拡大のためには「顧客の信頼」「ブランド」というアナログが求められている。さらに、これからのものづくりはさらなるプロセス改善、コストダウンが要求され、アナログ思考が大変重要である。バリューチェーンはまさにアナログであるからである。日本や世界にデジタル的に散らばる数々の技術をアナログ的にすり合わせた時、新たなプロセスや技術が生まれ、新たなコストダウンへの道が拓ける。インターネットの世界では既にそれが実現している。オープンソースがまさにそれである。それと同様に、ものづくりにおいても世界とのつながりを感じ、アナログ的に視野を拡大すれば、無限の可能性が生み出されるのではないかと考える。すなわち、日本企業が世界をリードするためには、今こそ日本の得意とするアナログが一層必要とされているのである。

 以上のことから、グローバル社会においては、デジタルとアナログをバランス良く活用できる人・企業こそが各々の潜在能力を最大限に発揮し、今を超え、明日を切り拓くことができるのではないかといえるのである。そして私自身もそのように自己研鑽に励んでいるつもりである。

参考文献

『次世代ディスプレイ 勝者の戦略』泉谷渉著 東洋経済新報社

『フラット化する世界 上下』トーマス・フリードマン著、伏見威蕃訳 日本経済新聞出版社

『ウェブ進化論』梅田望夫著 ちくま新書 

『古事記と現代の預言』谷口雅春著 日本経文社

http://www.ritsbagakkai.jp/pdf/436_08.pdf

http://masanobutaniguchi.com/

http://ranking.goo.ne.jp/ranking/014/newemployee/

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デジタルとアナログの融合(2)

2.デジタル思考一辺倒の限界

 学生時代、塾講師のアルバイトで感じたことが1つあった。それは、子どもたちの思考はデジタル化、すなわち、感情・行動・理解度のバリエーションが少なく、パターンの2極化が進んでいるように感じたのである。例えば、好きな先生には、どんどん話しかけ、色んな相談もし、言うこともよく聞くが、嫌いな先生の言うことには全く耳を傾けず、口も利かず、人格や容姿まで否定する。そのギャップの激しさに驚いたのである。また、勉強のやる気がある時とない時の差も激しい。学力低下が叫ばれて久しいが、勉強のできる子が減少しているのではなく、できる子とできない子のギャップが拡大しつつある、という方が正しいのではないかという印象を受けた。すなわち、好きか嫌いか、するかしないか、できるかできないか…という、01かの世界へと近づきつつあると感じたのである。そこには、嫌いであるけれども頑張って好きになる、とか、できないけれども頑張ってできるようになる、といったアナログ的な感情  粘り強さ、根気良さの欠如が見られるのである。

現代の職場もまたデジタル的になっている。とりわけ大企業では、業務内容が高度な専門性を帯びて細分化され「ここまでは自分の仕事、ここから先はあの人の仕事」という具合に、離散的に物事を切って処理する業務体系になってきている。すると、物事を1つ進めるためには様々な部門をまたぐため、多くの時間を費やされ、トラブルが増え、効率も悪くなる。また、そのようにデジタル化された組織では、責任のなすりつけ合いも度々起こる。そこからは、決して「思いやり」「助け合い」といったものは決して生まれない。先日、大学時代の友達と食事をした時に、その中の1人が「大変なことは、職場の人間関係がドライなこと。」と言っていた。会社は社員11人のモチベーションを上げることに苦心しているが、デジタル思考にはその解決策を打ち出す能力はない。さらに、企業の不祥事も全てデジタル思考からくると考えられる。何故、企業は不祥事を起こすか?それは、ノルマを達成したいから、利益を拡大したいから、である。では、いつのノルマか・利益か?不祥事を起こす時、それは決まって“今”である。そこに“未来”の視点は皆無である。短い時間的枠組みで切ったある1点で物事を捉えるために、“今”の先にある“未来”とのつながりを忘れ、“今”を満足させるために“未来”を台無しにしてしまう、という皮肉な結果を生むのである。すなわち、デジタル思考のみでは、企業は“今”を超えることは不可能なのである。

 このように考えてくると、現代社会はデジタル思考に偏った傾向にあるが、それでは人も企業も各々の持つ潜在的な能力を最大限に発揮することは不可能ではないか。もし人がデジタルのみで完全に成立するならば、人はそれをロボットと呼ぶのではないか。換言すれば、デジタル思考は無機的ともいえる。企業のような組織が情報処理しやすいように、インフラ(人・もの・カネ・時間)をカテゴリー別に分類し、整理し、管理する。それはデジタル思考の担当である。しかし、その無機的な集合体を機能的な有機体へと飛躍発展させるためには、デジタル思考とは対極にあるアナログ思考の役割が必要不可欠なのである。アナログ思考がもたらす「全体と個とのつながり」を認識して初めて、デジタル的に存在していたインフラが抜群に機能し、未知の相乗効果を生み出しうるのではないかと考えられるのである。

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デジタルとアナログの融合(1)

以前、日刊工業新聞主催のフレッシャーズ産業論文コンクールに会社を通じて応募した。

すると、新入社員約650名の中から、会社代表10名に選ばれ、その後、新聞社での選考を経て、なんと「奨励賞」という賞をいただいた。

そこで、ご参考に論文の内容を披露いたします。                                                                                                                 

1.デジタルとアナログ

 現在、私たちの身の回りには携帯電話、デジカメ、次世代テレビ、などの様々なデジタル製品が溢れている。情報伝達手段もデジタル化が進み、デジタル通信によってグローバル社会が到来し、私たちは日ごとに世界とのより大きな「つながり」を意識せずにはいられなくなっている。世界の国々は国境、民族、文化、言語の枠によってデジタル的に区分され理解されることが多いが、デジタル技術の発達によって、世界はデジタル化が進むどころか、むしろ「アナログ」的関係を構築しつつある。「The World Is Flat」だとトーマス・フリードマンは著書「フラット化する世界」の中でこう表現している。すなわち、それが「アナログ」である。

 それでは、デジタル社会の生みの親である企業はどうであろうか?企業は組織であり、根本には人と人との交わりがあり、「信頼関係」が明日の全てを担う。その「信頼関係」は「つながり」であり、「アナログ」的である。一方で、組織には「部門」というものが存在する。それは担当業務等のカテゴリー別に分類・管理され、「デジタル」的な仕組みになっている。

 このように、ある1つの事象を吟味して考えてみると、デジタルとアナログの二面性があることに気づく。本論では、アナログ的関係を強めつつあるグローバル社会において、企業が明日を生きるために必要なことは何か?ということをデジタルとアナログの観点から追究してみたい。

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ちょっと早い母の日

先日、第60回生長の家青年会全国大会が開催されましたhappy01

                                                                

その全国大会参加のために家を出発する前、1週間ほど早かったですが、母の日のプレゼントをこっそり置いてきましたsmile

その日、母はちょうどお出かけ中note

帰ってきた時にビックリさせようと思って、そのタイミングを狙いました(笑)

プレゼントは、カーネーションのデザイン入り“お箸”sign03

なぜ、お箸かというと、お箸のもつ意味に感動してしまったからですnotes

http://www.hashi-gallery-mon.jp/arekore/index.htmlより引用

『「はし」という日本語は向うとこちらの二つの世界をつなぐ橋渡しの役目を持つ道具につけられたもの。端と端をつなぐ「橋」、高いところと地上をつなげる「はしご」。「お箸」も例外ではなく、口に運ぶ先は人のもの、もう片方の端は神様のものとして考えられていました。ですから食事の時にはお箸に神様が宿ると考えられていたのです。

また、お供え物をするときにも「竹」が神さまと人「(者)」とをつなぐ役目をしたことからこの道具が「箸」と呼ばれるようになったわけです。つまり、使うことで神様に感謝を捧げる、人と神様を結ぶ”橋渡し”の道具ということになります。』

お箸にそんなステキな意味があったとは全く知らず、それなら「母と子を結ぶ橋渡し」の感謝の気持ちを込めて、渡そうと思ったわけです(^^)

素直になれない自分は、「いつもありがとう」というメッセージカードをお箸の袋の中に忍ばせて、こっそり置いてくるのがやっとでした(笑)

…全国大会から戻ってくると、母から「ありがとう」の一言が返ってきましたshine

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気がつけば…(2)

あっという間に学生生活が終わりました。

忙しくて、気がつけばブログ放置してしまってました(>_<)

その間、色々な声をいただき、ありがとうございましたhappy01

学生生活はたくさんの方々のお力添えのおかげで有終の美を飾ることができましたsign03

明日からいよいよ社会人です(^^)

心機一転して、新天地を開拓していきますsun

今年の目標は「唯神の年」―――

絶対善なる神、善一元の世界が本来、自分の目の前に広がっている。

この信仰を把持することによって、悪(と見えていたもの)は消え、善のみが出現する。

この真理を常に実践し、唯神のみを見つめることによってのみ可能となる日時計主義の生き方を心がけたいと思う。

そして、希望したものが実現した年にしようと思う。

―――この目標を忘れず、頑張っていきたいと思いますnote

2月に風呂敷をいただきましたhappy02

レジ袋削減をさらに楽しんでいきたいですね。

不思議と今年は続いている日時計日記も頑張っていきたいですgood

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気がつけば・・・

やることを追いかけてきて、気がつけば年末になりました(^^)                             

台湾の研究所に1週間、太陽電池の研究に出張し、帰ってきたら中間発表の準備、中間発表の翌日から中高練、その翌日はめでたく初出講でした(^o^)/                                     

ということで、今までブログが放置されてきました(+o+)                                 

中高練では中高生たちのいのちの輝きに感動し、誌友会では中高生たちの向上心と素直さに心を打たれました                                                                

そして今日ようやく、年賀状の作成を始めました。

カーボンオフセットの年賀状に載せたメッセージが行き渡るんやと思うと楽しみです(^^)             

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テクニックの限界

「かご持ち帰り相次ぐ 海陽町、レジ袋有料化のスーパー」                                                                                                                               

こんな記事を見つけました。                                                                                      

http://www.topics.or.jp/contents.html?m1=2&m2=&NB=CORENEWS&GI=Kennai&G=&ns=news_119638587772&v=&vm=1

                                                                                       

温暖化防止のためにレジ袋削減を狙ってレジ袋を有料化(1枚5円)したところ、マイバックをもっていない客がレジ袋代5円を支払うのを渋って、買った商品を買い物カゴごと持ち帰っているという。

                                                                                                  

この記事をみてテクニックによる環境対策の限界を感じた。

どんな新しい取り組みを行おうとも、やはり“心”の改革がなければ根本的な解決にはならないのだと直感した。

ここに、日時計主義の実践に基づいた環境対策を掲げる生長の家の先進性・独自性・重要性があると思った。

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祖母を訪ねて

今日は休日を利用して、母の母が住む施設へと足を運んだ。父、母、姉、姉の旦那さん、自分の5人で訪れた。                                                               

僕は、半年前、祖母が我が家から施設に移って以来の対面となった。                     

1時間半ほど会話が弾み、その間いろいろなことを感じた。                            

毎回こういう場で強く感じるのは、“いのちのつながり”ということ!                         

当然のことだが、祖母がいなければ母は生まれず、自分も生まれていない。                          

過去に出会った喜び・感動、今生きている幸せ、これから出会う喜び・感動――そんなものは一切ない。                                                                                                     

今、自分がここにいるというということ。                                        

それがどんなに尊いことかということを改めて感じた。                                

このいのちの素晴らしさに、どれだけの人が気づいているのだろうか?                                                                                        

祖母の何気ない一言を僕は聞き逃さなかった。                                   

「会えた時はうれしいけど、別れる時は寂しいわね。」                                

その時、ある光景が頭をよぎった。                                           

去年の夏、父の実家に帰省して、父方の祖母と話した時のこと。                          

「今の自分があるのは、おばあちゃんのおかげです。」                               

この時、初めてこの言葉を言えた。                                           

すると、別れる際に、                                                   

「ありがとう。また会いにきておくれ。」                                          

と、泣きながら手を握る祖母の姿がそこにはあった。                                

そのことを思い出しながら、愛され祝福されている自分を再認識した。                                         

親から子へ脈々と受け継がれる“いのち”――                                                            

そしてその“つながり”――                                                                         

現実に追われる慌ただしい現代生活で見失いがちな“何か”がそこにあると思った。             

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夢を求めて(2) -高校生のために-

夢を追いかけるにあたってのポイントを知るには、生長の家創始者谷口雅春先生著『希望を叶える365章』を読むのがいいのではないだろうか。そのはしがきから、希望実現には3つのポイントがあることが読み取れる。                                                                                                                                      

1つ目についてはこう書かれてある。                                          

希望を達成したいと思うならば希望は一体何処にあるか、希望の在所を先ず知って置かなければならないのである(中略)だいたい希望を実現したいと思って人は、前向きの姿勢で、前へ前へと進んで行くのが普通であるが、希望とか理想とかいうものは、そんなに前方にあるのではないのである。では、その希望とは、一体何処にあるのであろうか。

私たちが切実に実現したいとこいねがう希望は、それが真に切実なるものである限りに於いて、それは自己の内に「既にあるもの」が内部から押し上げて来るのであって、本当は外にあるのではないのである。それが既にあり、既に内部に実現せるがゆえに、それを外に表現せずにはいられなくなって、「希望」とか「理想」とかいう形をとって、表面にあらわれて来るのである」                                                                                                                      

そこで、そのためには「自分が何であるか?」ということを知り、自分の現在位置を把握することが必要なのではないかと思う。「全体」を知り、その中の「個」としての自分を感じる見方がどうしても必要である。その趣旨のことが、『新版 生活と人間の再建」(谷口雅春先生著)のp.98~108にある。とりわけ、これからの時代、世界の中の日本で生きる自分、という見方も重要であるように思う。                               

一人目の高校生は、ちょうどこの部分が夢の源泉になっていそうである。

そして、夢の見つけ方が分からないという二人目の高校生への答えでもあると思う。             

さて、そんな夢や希望を実現させるための2つ目のポイントは、次のようにある。               

多くの人たちの希望が実現しにくいもう1つの原因は、“心の法則”をその人が知らないからなのである。」(『希望を叶える365章』はしがき)                                                                                            

“心の法則”とはこの世は心で認めたものが現れる世界であるということであって、“心の法則”を正しく使うということは、コトバ(身・口・意)の創化力をフル活用して善を表現することである。それは具体的にどのような心の状態であるかというと、p.46に「希望を実現する心の要素」として次のようにある。                                                                                      

「(前略)希望の実現には「愛」「努力」「祈り」、そのほかに「明るさ」が必要なのである。(中略)不平の代りに感謝を、呟きの代りに讃嘆を、陰気の代りに希望に満ちた明るさを、心に常に把持するようにしなけばならない。(後略)」                                                                                        

最後に、3つ目のポイントは次のようにある。

「若し、あなたが、「希望」というものの所在を本当に知り、それを内から外へと導き出して来るためのもの“心の法則”を知って、それを実行に移すならば、あなたの希望は必ずや如何なる希望でも成就することになるに相違ないのである。」                              

内から催してくる希望に確信を持ち、決意して実行に移すところに現実を打破し、実現させる秘訣があるというわけである。                                                                                                                            

『新版 生活と人間の再建』p.87に次のようにある。                                 

「諸君の前に横たわる障礙(しょうがい)は決して物質的条件ではないのである。すべての障礙は心的なものである。「出来ない」と思う障壁、「疑う」と云う障壁、自己劣等感の障壁、優柔不断と云う障壁、不信、不決断、意思薄弱の障壁――斯くの如き障壁を打ち破るときはじめて神性発見の凱歌はあがるのである。」                                                                          

そして最後に、「真の願い」を見分ける法(谷口雅春先生著『生活の智慧365章』p.101)を紹介する。

(1)私は真にそれを欲しているか、又真にそれが必要であるか。

(2)その願いの成就が自分又は他の人の魂の向上に役に立つか。却って魂の向上に邪魔になるか。

(3)その願いが成就することによって、他の人に損害又は迷惑を懸けることにならないか。

(4)その願いが成就することが、家庭、社会、国家、人類等に役に立つか。                                                                                                                                             

先日紹介した1人目の高校生には明確な夢があり、2人目の高校生はまだ明確な夢には出逢っていないように見えるが、夢の有無に関わらず、2人の最後の文章が、他の人の役に立ちたいという思いで締めくくられているところに人間の本質=愛の素晴らしさ感じるのである。

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夢を求めて(1) -高校生のために-

先日、生高連会議の時間に高校生のメンバーが「夢」について語り合った。

すでに自分の夢をはっきりと掴んでいる人、まだまだこれからだという人、現実の壁を目の前にして立ちすくむ人…さまざまだった。

そこで、いろは出版の「高校生の夢」、「1歳の夢から100歳の夢」から2人の高校生の夢を紹介したい。                                                                                                                                        

高校1年生の女の子。                                                                                                                    

「私の夢は小児科の医者になり、JICAに入ることです。そして世界中の子どもたちを助けることです。なぜこのような夢になったのか。決め手は一冊の本でした。

  

「トットちゃんとトットちゃんたち」黒柳さんがアフリカなどいろいろな国に行って世界の子どもたちの状況がありのままに書いてある本。わたしはこれを軽い気持ちで読んでみたのです。読んでみるととても辛かった。私よりも小さな男の子が兵士になって国のために戦ったり、明日の食べ物がなく途方にくれている子、栄養失調で地面を這(は)っている子、今の私たちの生活からは想像出来ないようなことがたくさん書いてありました。読んでいるうちに自然と涙がぼろぼろとこぼれていきました。そこで黒柳さんのようにこんな子達のために何かできないと思い、考えたのがこの夢だったのです。

  

日本には、医療だって発達しているし私がいなくても影響は何もないけれど、世界の子どもたちのために、わたしが行かなくちゃと思い、夢をあきらめないで頑張ろうと決めました。

大変なことも数え切れないくらいあるでしょう。でも私はあきらめないでがんばりたいです。

世界に私を待っている人がいる。」                                                                                                                                                                                  

高校2年生の女の子。                                                                                                                     

「高2になっても、確かな夢はまだない。中学校の頃は、いろんな夢をもっていたのに、今は現実的に考えてしまって、すぐにムリじゃなと諦めてしまうようになった。周りの友達たちは、夢をもって、少しずつ、その夢に向かって努力したりしてるのに…。焦ってもしょうがないって分かってるのに焦ってる。

  

人の言葉一つ一つにも、疑いをもって信じきれなくなってる。疑問に思ってくる。憧れだけでは、何も成功しないって思う。ここから逃げたいって現実逃避してみても、結局目を開けたら同じ景色で何も変わらない。

  

このまま大人になったら、どうなるんだろうって不安になる。考え方も何もかも子供なのに、大人になんかなれるんかなぁ?っていうか、どんなんが大人なんじゃろ?

  

手をのばしてもつかめるものは何もなくて、目の前にはウソしかなくて、夢なんてどうやって見つけたらいいのかなんてわかんない。

  

でも、こんな考えに答えが出たのなら、同じように悩んでる人達を導いてあげたいと思う。それを夢にしたいと思う」                                                                               

以上、2人の高校生の思いを紹介した。

対照的な例だと思うけれど、ヒントになる考え方、共感できる考え方…色々なものが詰まってるなと思います。

これを見た、高校生のみなさんも、夢や進路について考えてみましょう(^^)

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